なんだか、春がダイブして来たみたいな陽気ですね。びっくりしつつも、ゆったりした気分になれます。
といいつつ、寒の戻りもあるようなので、このうららかな一時を楽しみたいと思います。
よく「まずは自分を受け入れて」と言いますが、これがなかなか会得しにくいものです。
受け入れたつもりになっていても、ついつい自分のどこかを否定してしまっていて….。
で、そうやって否定している自分も認めて受け入れて、と無限ループにはまってしまったり。
本来のところは、「どんな自分であっても全部を受け入れて」ということなのですが、時間軸がままならない三次元に生きる私達は、時間軸上のその瞬間瞬間を切り取るクセがついているので、なんもかんも丸ごとで、その瞬間も丸ごとなんだよというのが難しいのかもしれません。
不注意で結構大きな怪我をしてしまった。単純に痛いし、利き腕が動かせないとか、片足がきかなくて松葉杖だとかになると、日常生活でも不便だし….。
「なーんであんなことしたんだろ、なーんであんなとこ行ったんだろ、私のバカバカッ!!」
ってなるか、
「あーあ、やっちゃった。でも仕方ないよね。痛いのはちょっと辛いけど、とりあえず、できることはやろうか。あとは寝て治す!」
となるかの違いかなと思います。(かなり安直ですが。笑)
私の状況もまさにそうですね。
右の鎖骨と肋骨を骨折して、右手が半分使えない状態です。この文章も左手のみでタイプしているので、いつもより大分時間がかかってます。
最初は「どうしてこんなことになっちゃったんだろう。きっと何か意味があってこうなったんじゃないだろうか。」と思って、ガイドのソナタや、ハイヤーのるんに聞いてみたりもしたのですが、「これは事故。何故かを探っても意味無いよ。」と無碍に言われ、「なーんだ。じゃ仕方ないか。」と一応こういう状況にある自分を受け入れてみました。
それでも、痛いのは痛いんです。笑 歩けばズンズン響くように痛いし、体を折ることが出来ない。右手は肩が上がらなくて肘も水平以上は上げられない。
じゃあと、横になろうとしても肋骨に激痛が走るし、鎖骨の折れた辺りがゴリゴリいったり、なぜか肩の先の方が花火がはじけるみたいに痛くなるし….。
もう~最低でもあと1ヶ月はこんななのかなぁ、辛いなあと思ってました。
最初の3日間はそんな風に思ってましたが、「骨折れてんだもんね。痛いのは当たり前だし、固定してんだから動く範囲が狭いのも当たり前。座ってるのと寝ているのとでは体勢が全然違うのだから、肋骨が悲鳴上げるのも無理ないよね。」と辛いとかどうとかではなくて、そう思うようにしました。
するとですね。ここ昨日になってで痛みが急激に治まってきたんです。
朝起きるのに、痛みに怯えて耐えて起き上がるのに10分以上かかっていたのが、多少の痛みはありますが、拍子抜けするほど楽に起き上がれます。
肩も水平とは言えませんが、上げることが出来るようになってきて、右手で箸を使って食事することが出来るようになりました。
近所のコンビニくらいなら普通に歩いて買い物にいけるくらいです。
鎖骨や肋骨の骨折の場合、痛みが引き始めるのは、早くて1週間から10日くらいからということなので、4、5日目となるとこれはかなり早め。
受け入れるというのはこういうことなんだなぁ、と思いました。
辛くても何でも一旦ソレは脇に置いて、そりゃそうだよね、と体の状況を受け入れる。そうすると体も本来持ってる治癒力を全開で発揮してくれる。
悪いと思える状況にあっても、辛いとか大変だとかではなく、まずそんな自分をまるっとフラットに受け入れる。それで自分の周りの宇宙の法則もよい方向に回りだす。ということなんですね。
サラッと書いちゃいましたが、この「フラット」というのが実は重要で、それは良いも悪いもない、そこにそうしてある、それ以外の何ものでもない、ということなんです。辛いとか大変とかいうのは、そこに勝手に感情や思考を乗せちゃってるんですね。これはいらない。邪魔です。
それを今回は非常に判りやすく怪我で見せてくれたというわけです。
まあ、とはいえまだ骨がくっついたわけではないようなので、大人しくしていようと思います。笑
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