感動の涙の裏側にあるもの

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GWが明けたら、一転して雨模様です。
連休終わったっちゃった~、また仕事だぁ~と憂鬱になっているところに、大雨でダブルパンチを食らっている方もおられるかと思いますが、止まない雨はありません。無理に元気を出す必要はないですが、晴れたら元気になりましょうね。

よくテレビなんかで、感動話や事件の再現TVRを観ながら出演者が涙を流す場面があります。

あれを見るたびに、うーーん、一見心の細やかな優しい人っぽく思えるのだけど、ちょっと危険だなぁと思うのです。
もちろん、本当に心細やかな優しい人なのだと思いますが、そうだとするとなおのこと大丈夫かなぁ、と思うのです。

人はいろいろな経験をします。
楽しいこと、嬉しいことばかりだといいのですが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に辛いこと、哀しいことも経験します。

ですが、他人の経験や事件を聞いているときに、自分をそこに同化してしまうのは危険です。
辛い話であればなおさら危険です。

この世は自分自身が創り出している世界だという話を以前しましたが、他人の経験した世界、もしくは創り出した世界に自分の感情を入れすぎると、その世界を自分に取り込んでしまうことになります。良いもの悪いものお構いなしです。

その時、ある程度自分が確立している人は、その余計なエネルギーを跳ね返すこともできますが、繊細な性格の人はむしろ積極的に取り込んでしまって同化しようとしてしまいます。

他の人(世界)のエネルギーの全てがいけないものというわけではありませんが、いけないものでないにしても、自分にとっては「異物」である場合がほとんどです。

まだ心が柔らかい思春期の子供は、この傾向が強いとも言えます。
アニメ好きの中高生が、いわゆる「厨二病」にかかってしまうのは典型ですね。
ただ、彼らは、その後の人生の中でいろいろな経験をする中で、自分自身の世界を自分で構築してゆく過程で他の世界のエネルギーに対する耐性をつけてゆけます。

危険なのは、その時期を過ぎてある程度自分の世界が出来てきている人です。
自分の世界を他人のエネルギーに侵食されることは、自分自身の魂磨きの障害になりかねません。

ただ、映画や音楽で感動して涙するのには、もう一つの場合があります。
自分の世界の中から生まれてくるエネルギーによって感動している場合です。

そこには自分をその物語に投影する意識は薄く、自分の中から湧き上がるもので胸が熱くなるのです。
そういった感動はどんどんすべきだと思います。

これらの差は、最終的な感情は「感動」だしそれなりに激しい感情なので、見分けは難しいかもしれませんが、その世界に自分が埋没してゆく感じがするのであれば、良くない方だと思ってください。

これは、自分を俯瞰で見られるか、中庸でいられるか、ということにもつながります。
グラウンディングが出来ているかどうかということになります。

こんなことを書くと、なんでそんあ冷たいことを言うんだ、と思われる方もいるかと思います。
しかし、何事も自分を埋没させすぎるのは危険ですし、特に強い気持ちの時は注意が必要なのです。

 

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