ガイドが段取った奇跡のタイミング

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今日は昨日にまして暖かいのだとか。
午後一で打合せなのだけど、ジャケットだけで行こうかなとも思うけど、夜は肌寒くなるからなぁ….。
着るものに悩む….。

実は、うちの父親が去年ガンになりました。
年末くらいまでは、いろいろな治療を行ってきましたが、年が明けてから急に弱ってしまい、2週間前についに入院してしまいました。

1週間前には弟と私も長岡の病院に呼ばれ、家族全員で主治医の話を聞きました。
すでに、元々は膀胱ガンだったのですが、すでに腰のリンパ節、骨盤、肺にも転移しており、ステージ4の宣告でした。
もうここまでくると、治療しても回復は望めないということで、本人の希望もあって、今後は積極治療はせず、緩和ケアに移行することになりました。(腰にガンからくる痛みが強く、主に痛みを抑えて苦痛を和らげるのが主になります)

本人はもう悟った感じで割と淡々としております。
我々家族としても、出来るだけ辛くないように過ごしてもらえればと思っています。

急遽、長岡に行ったり、東京近郊の緩和ケアの病院を探して転院の計画を準備したり(病人の他に実家の猫も私が預かるというので、結構すったもんだです。笑)で、その他父の終活の総仕上げの手伝いもあって、相当バタバタしておりました。

こう言ってはなんですが、タイミングがばっちりハマってるんですね。
通常であれば、急に長岡に行ったり、色々と母親を手伝うことなど、なかなか時間的にも精神的にも難しいところなのですが、ここ数週間、ちょうど仕事がヒマになっているんです。

次のプロジェクトは決まっているのですが、その開始が諸事情で遅れており、示し合わせたかのようにポカっと空いたんですね。

まさに、両親に協力するように状況が整えられている感じです。

仕事も減って金銭的にももう少し厳しいかな、と思っていたのですが、思わぬところから臨時収入があったりして、全く困るようなことはなく、ガイド達も素晴らしい段取りをしてくれたものだ、と驚いています。

本来、自営業で仕事に穴が空くことは致命的なことなんですが…..。

タイミングが合ったといえば、母方の祖父が亡くなった時のこと。

もう25年前のことになりますが、祖父が自宅で息を引き取ったのは早朝。
私の母親が付き添っていた時のことでした。
その知らせが私の部屋に来た時、なんと、私の父親、弟も何故か私の部屋に泊まっていたのでした。
そんなことそれまでに1回あるかないかの珍しいことです。

期せずして、家族全員その日の朝10時には祖父の家にいました。

それだけでなく、母親兄弟姉妹5人とその連れ合い、その子供(つまり私のいとこ達)の17人全てが、朝10時に祖父の家に集まることが出来たのです。
いとこも社会人もいれば学生もいるし、当然母の兄弟たちも仕事があったはずなのですが、示し合わせたように動くことが出来たのです。

しかも!その日は私の誕生日!!!

もう、祖父の命日は何があっても忘れません。笑

当時は世の中そんなこともあるんだ、と親戚同士で話していましたが、今思えば全てガイド達によって仕組まれていたんですね。

それは故人にとっても、残された人にとっても色々な意味で必要なことなんですね。

本当に必要なことであれば、ガイド達は本気でそのくらいのことでもします。
その頃はガイドの存在をあまり判っていませんでしたが、明らかに何かの力がそうさせているのを感じていました。だから偶然だとは思っていませんでした。
なるべるしてなったんだ、と。

信じられない偶然とか、考えてみればそういうシチュエーションになっていたんだっていうときは、ガイド達がフル回転して、段取りした結果です。

これは、もちろん、ガイドだけの力ではありません。
いくらガイドが段取りしても、私たちが実際に行動しないとタイミングが合う以前の問題になってしまいます。

それと、その中心にいる人が「整っている」ことも重要です。
そういう意味では、父親も祖父の波動が整っている人なんだなぁと思います。

そこについているガイドの力も関係して、段取りが大掛かりなるか否かが決まってきます。

自分の波動を整えてゆくことは、この世の最後の時にも大きく影響してくるのです。

 

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