パラリンピック

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リオのパラリンピックが開幕しました。

第1回パラリンピックは1960年、イタリアで開かれました。もう50年以上の歴史があるんですね。
その4年後、第2回は東京で開かれていました。

オリンピックと同様、TV中継もされてますね。
なんだか、オリンピックの時より見入ってる自分が居たりします。

開会式も、オリンピックの時よりも芸術的に感じました。
障がいのある人も一緒に楽しめるよう、視覚的にだけでなく聴覚的だったり、もっと感覚で体感できるような表現がされていて、その分深みを感じられるし、体で感動を感じられるものだったのが印象的でした。

競技も失ってしまった機能をそのまま受け入れて競い合える形になっているのが、当たり前といえばそれまでですが、逆に新鮮に感じます。
健常者には出来ない領域まで昇華されている感じがします。

昨日も女子走り幅跳びを観ていたんですが、まず、競技者の皆さん、とても活き活きしているんですね。
義足を付けての競技ですが、その義足もそこにあるのが当たり前のように思えるほどです。
それと、みんなキレイですね!キュートです。いや、ほんとにどの人もそのままモデルができるんじゃないかと思うくらいです。
ネイルも凝っていたり、競技が終わってまとめていた髪をほどいた姿もまた美しかったり。

多分、障害があることを素直に受け入れて、その上で何ができるのか突き詰めてきたのでしょう。
その中に暗さを感じないからこそ、世界の大舞台に立つことができたのだと思います。
非常に軽やかな波動の高いエネルギーを感じました。

ふと思うのですが、パラリンピックもこれから更に科学技術が発達して、義手や義足も高性能化してくればそれを踏まえた競技会になっていくのかもしれません。
それがもっと進めば、それこそ健常者ではまず不可能なことで競い合うのかもしれません。

パラリンピックは補助する器具はできるだけシンプルに、できるだけ残っている機能を生かして競技を行うことを前提にしているのだと思いますが、別枠で科学技術との融合を前提にした競技があったら面白いと思います。
そこで積み上げられた技術が、一般にもフィードバックされて一般の障がい者の人の日常生活に活かされるということもあると思います。
F1などのレースでの技術が、一般車の開発にフィードバックされるのと一緒です。

パラリンピックって夢があるかも、と気が付いたのでした。
そこには、参加している人とそれを取り巻く人々の純粋なエネルギーがあって、それがそんなことを思わせるのだと思うのでした。

 

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