お風呂タイムに、メインガイドのソナタから、全く役には立たないのですが、トリビア的な情報が降ろされたので書きます。
(だって、ソナタが「面白いでしょ~、書きなよ~、そいう下らないのも必要だよ~っていうもんだから….。orz)
時代劇で見る「ちょんまげ」。あれはまあ、当時の風俗というか伝統的男子ファッションであったわけですけれども、起源はハゲ隠しだそうです。
当時、お風呂は毎日入っていたわけではなく、数日髪を洗わないことも当然な状況でした。
そうなってくると、男性の加齢に伴う薄毛も今より頻発するワケですね。しかも今より比較的若いころから。
とある、西の方の殿様(多分京都周辺)がやはり頭頂部の薄毛を気にしておりました。
で、思い切って、頭頂部を剃ってしまって後毛を前に持ってきてまとめて剃った頭頂部に乗せたんですね。
バーコードの後毛バージョン+αです。笑
何でそんなことしたのかは判りません。多分酔っ払ってたんだと思います。笑
ともあれ、ちょんまげ誕生です。
で、これを家臣にも奨励したんですね。押し付けではなく、「これいいだろ」的な柔らかな圧力というか….。
家臣もまあ、従わないわけにもいかず、みんな真似したんですね。当然、中には「助かったぁ~」的な人も約半数。笑
それが、まあ当時の殿様連中の間で流行ったわけですよ。上方の最新モードはこれだ!!的に。笑
時のころ、国取り合戦が本格的に始まる直前ということなので、おそらく室町時代の末期の話のようです。
でそれが家臣から家来に伝わり、農民までに広がるわけです。当然、その裏には封建主義+「助かったぁ~」的心理が後押していたのは言うまでもありません。
(※あくまでガイドからの情報で、歴史的な検証はしてないので、あしからず。)
一方で、公家さん達はそんなスタイルを「なんだあれ?」と最初は思っていたようですが、自分たちは人前では基本的には烏帽子を常にかぶっているので関係ないし、あれが武士たちの流行なのね~、と思っていたようです。笑
実は、髷は全員が全員結っていたわけではないみたいです。
当然、薄毛ではない人も多いわけで、その中にも髷に抵抗感を感じる人も結構いたようです。
ただ、全体的に髪は長めですね。肩までの髪を後ろでまとめるような感じも多かったみたいです。
というのも、今のように頻繁に髪を切ることがなかったんですね。美容院や床屋がそこらじゅうにあるわけでもなく、自分で切らなきゃならなくて、めんどくさいんです。笑
予備知識として、歴史の教科書でお馴染みのフランシスコ・ザビエルのヘアスタイル。
あれは、割と自然に任せた感じだったのですが、キリスト教の位の高い司教があのスタイルを始めた(というより自然にそうなった)ので、真似した神父さんが結構いたようです。
ただ、西洋では貴族は聖教者とは意識的に一線を介していたので、聖教者特有のスタイルとして認知されたみたいです。
お風呂タイムは、結構深いチャネリングの時間でもあるのですが、たまに、こんなどうでもいい情報を降ろされて終わり、ということもあったりします。
まあ、息抜きみたいなもんかなと思ってます。笑
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