家電が家族!?

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NHKでやっていた番組が気になりました。

家電が家族の一員のように感じられ、壊れても修理して使い続ける人が結構いるというもの。

確かに家電や車にも意識をもった存在が宿りますので、そういったものを感じて接しているのかと思って観ていました…..。

が、

出てきた方は「執着」を家電に投影している方ばかりでした。

高齢の方の多くは、その家電に亡き夫を重ね合わせている人が圧倒的でした。

また、アラフォー女性の場合は、人間関係や仕事の悩みを癒してくれる存在を家電に求める人が結構いるようです。

まあ、多数派ではないしても、TVで取り上げるほど目立ってきているのですね。
正直なところ、良い状態ではないと感じます。

毎日使う家電に愛着を感じるのはよいことだと思いますが、どの方も自分自身の「我」を重ねているようにしか見えないのです。
家族のような存在であるということであれば、その存在が「個」であることをまず尊重しないといけません。
そこに精神的な依存をするのではなく、対等な意識で接するのが必要かと思います。

その存在にも寿命があるのです。直せば確かにこれからも一緒にいることはできますが、その「存在」の存在する意味はまた別のところにあります。
それを自分の執着で延命させるのは良いことではないのです。

私にも同じようなことがありました。
今のクルマの前のクルマなのですが、10年乗り続け、13万km走っていましたがエンジンは元気。走りも快調でした。
しかし、ある朝、いきなり左前輪のサスペンションが壊れてしまいました。そこを直せばまだ乗れますが、なぜか迷いも大きかったのを覚えています。
その頃お世話になっていた占い師に相談したのですが、「その子はもう限界。もう走れないと言っている。」と言われ、降りる決意をしました。
人馬一体、どこに行くのも一緒で相棒でした。でも、恐らく次に誰も乗ることもなく、部品取りでバラバラにされて残ったボディはスクラップです。
辛かったですが、最後に彼がキャリアーに乗せられ行ってしまう頃には踏ん切りも付き、「ありがとう」と声をかけることが出来ました。

また、かけがえの無い夫や子供や親が自分を残して逝ってしまうのは、その人自身にとっての意味も大きいですが、残された人もその事実を受け入れ、自分で自分を癒すことをしなければなりません。
その気持ちの逃げ場を別に求めるのは筋違いというものです。

この世の物には寿命があります。それは受け入れないといけないことなのです。

人の心が病むというのは、こういうことの認識が出来ないことも要因の一つなのだと思った番組でした。

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