子供との関係と自分の前世

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私の息子はもう中学生ですが、離婚したあとも変わらず慕ってくれていて、ウチに遊びに来てくれています。


前職の終わり二年は土日の出勤が多くなってしまったため、遊びに来る機会も激減しましたが、今は時間も比較的自由になり、また週末にはよく遊びに来ていたりします。

幼い頃はまだ親を慕う気持ちも強いのかな、でも、成長してゆくに従って自分の世界を持つだろうし、自分から離れていくだろうな、と思っていたのですが、そんなに変わらないようです。親としては少し嬉しい反面、自分の世界が作りきれてないのかなぁ、とちょっと心配になったりもします。
まあ、中学生になってからは週末の誘いのメールも、「もし何かしたいことがあれば、僕は空いてるよ。」といかにも私が誘う形にしようとしてますが。笑

しかし、成長する息子を見ながら思ったのですが、自分が息子に対する感じ方がまるで弟を見るような感じなのです。これは、彼がまだ幼い頃からそうでした。
実際、私には年子の弟がいたのですが、小さい頃は例によってくっつき回されて鬱陶しくも感じながら世話をし、中学生までは一緒に実家で住んでいましたので(私は高校から実家を出てました)何かと一緒に遊んでました。そのときの感覚とすごくダブるんです。
先日も、ふと息子は何してるかな、と思ったとき、思わず息子の名前でなく、弟の名前を思い浮かべてました。笑
もちろん人物として思い浮かべていたのは間違いなく息子です。笑 思わず一人で苦笑いしちゃいました。

他の親御さんは、もっと「自分の子供」という感覚が強いのだと思いますが、どうやら私の感覚は少し違うようです。
とはいえ、息子はやはり親として守るべき存在ですし、彼が成長していく手助けをしていく気持ちは強いのですが、なんというか魂的には親対子ではなく、兄弟みたいな同列な関係に感じるのです。

私は他の人の前世が判ることも多いのに、あまり自分の前世を観ることが得意でないのですが、ちょっと集中して観てみると…..。

大きな木の下で二人の子供が遊んでいるビジョンが見えました。どうやら双子の兄弟で、一人が私の前世、もう一方が息子の前世のようです。
ビジョンはいくつか切り替わって、時代劇に出てくるような街の比較的広い通りで、私の前世と息子の前世が殺気立った人達に囲まれていたり、居酒屋か蕎麦屋みたいなところで向かい合って酒を飲みながら話していたりというのも観えました。

恐らく江戸時代中期で、私も息子も曲げを結ってそれなりの着物をきていましたので侍だったのだと思います。
私は少々気性も荒く、往来で刀を抜いてしまったこともあったようです。殺気立った人達に囲まれていた際にも息子と背中合わせで刀を抜いていました。汗
殺気立った人達は、やくざ者というか、普通の町民でも侍でもなかったです。何したんでしょうかねぇ。汗
あ、刀は抜いたものの人は斬らずに済んだみたいです。(まあ、江戸時代だと往来で抜刀すること自体大問題なんですけどね…。)
双子の兄弟はかなり仲が良かったようで、四六時中行動を共にしていたようです。

やはり前世でも関係があったのですね。笑

ちなみに弟とはどういかと言えば、やはり前世では会っていて、彼は町医者というか薬剤師というか、とにかく医療関係の人間で私の前世もお世話になっていたようです。そう、息子の前世と双子の時だと思われます。
ただ、息子の前世とはそれほど親しくはなかったようで、息子と弟の間には特に特別な感情は感じられませんでした。

なんだか、少し不思議な感覚ですが、その前世での魂の絡みの目的が何で、今回の魂の絡みの目的は何なのか、ゆっくり紐解ければと思っています。
恐らく、何か魂同士で約束をしていたか、前世でやり残していることがあるのか、そんな感じです。

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