年末のご挨拶 ~過去記事~

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2015年の年末の記事です。


今年もあと半月近くとなりました。いやいや、早いものです。

今年はいろいろな神様のご縁をいただきました。
お世話になった神様へ年末のご挨拶回りを始めています。

まずは、昨日、府中の大國魂神社にお参りしてきました。
ここは、もう15年近く通っている私にとっての神社の基本とも言えるところです。
久しぶりに遊びに来る息子を迎えに行き、その足でお参りしてきました。

ペンデュラムのPプルがここの主祭神である大國魂命(=大国主命)の力を借りたいと、水取舎の水で清めて欲しいと希望していたので、柄杓で水をかけて清めてあげました。

そうそう、出かける直前にふと気になって神棚を見上げると、向かって左側の榊がカラカラに枯れておりました。
これは、氏神様に挨拶に行かないといけないと感じ、急いで大國魂神社の前にお参りしてきました。
そうですね。まずは氏神様からでした。汗

神社にお参りする際に「ついで参り」をしてはいけないと言われます。
短い時間に二ヶ所以上の神社仏閣をお参りしてはいけない、というものですが、私はこれは違う、というか間違った解釈だと思っています。

ついで参りはいけないというのは、お参りに行く際の心がけのことを言っているのだと思います。

「あそこに用事があるから、ついでにお参りに行こう。」

という心がけを諌めているものだと思っています。お参りを「ついで」にするという心持ちです。
まあ、これは考えれば判ること。
お参りはやはりきちんと「お参りする」ことを主の目的として行いたいものです。
なので、「他の用事もあるが、お参りすることは決してついでではない。」「二ヶ所以上お参りするけれど、自分はそれぞれの神様にご挨拶したい、ご縁をいただきたいのだ。」という心持ちであれば、なんら問題ないと思います。

世の中、躾とかマナーがたくさんありますが、似たようなものだと思います。
どうしても、「こうすることがマナーだ。」とか「躾としてこういうことを教えている」とか「作法」を「形式」として捉えがちなのですが、本来は「こういう心持ちでことに向かえば、こういうことに自ずとなる」というものだと思います。

なので、マナーも作法も「なぜそうなるのか」の部分をきちんと伝えない限り、形式を教えているだけになりその本来の心をどこかに置いてきてしまっているのです。
正直、心持ちが同じであれば、作法は多少違ってもかまわないと思っています。

さて、お参りの後は、昨日クルマのオイル交換もしたばかりなのでちょっと遠出がしたくなり、奥多摩に足を伸ばしました。
奥多摩に着いたのが16時過ぎだったのですが、日原鍾乳洞に行ってきました。
関東随一の規模ということで、最初はかなり道も狭く天井も低いのですが、一番奥の空間に出たときの驚きは感動ものです。

IMG_1947

もともとは、山岳信仰の場でもあったということで、神気に近いエネルギーで満たされていました。
ここでも図らずもエネルギーをもらってきました。

また行きたいスポットが一つ増えました。

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