アルスラーン戦記の祈り

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アルスラーン戦記。
アニメ好きの私ですので、名前は聞いていました。
1週間前ほどに、よく聞く題名だし、観てみるかと1話を観たら、立て続けにみてしまっています。汗

物語として、三国志的な壮大なドラマであり、とても面白いのですが…..。

とある場面で、思わず涙を流してしまいました。

ストーリーとしては、国を他国に侵略された若干14才の王子が逃げ延びて、王都を奪還して…という話ではあるのですが、この王子が非常に器の広い穏やかな性格であり、闘いの中で王たる資質を開花させてゆくわけです。

その中の話で、王都奪還のために必要な城を攻め落とすことに成功するのですが、その闘いには攻守双方に多くの犠牲がありました。
その死者を弔うために、王子側の死者の弔いの儀式を行った後に、捕虜にした敵方の者に敵方の死者の弔いをさせるのです。

王子はペルシャ(今のイラン)をモデルにした国家、敵方は十字軍(ご存知カトリックのキリスト教)です。
敵方の主義は唯一神を信じ、それを信じない異教徒は根絶やしにするという狂信的な思想をもっています。
一方、王子の国では多神教の偶像崇拝。宗教的には相容れることはないという中、王子は、敵方で生き残った部隊長(これが女の子だというのはドラマ笑)に、

「君の軍の死者に弔いの祈りの言葉を捧げてくれないか」

と頼みます。
そして、死者の葬儀の儀式で、双方の祈りが捧げられます。

思わず涙が流れました。

その人がどんな神を信じようが構わない、その人がその人の信じた方法で召されることが大事で、異教徒だろうが何だろうがそれは尊重されることなのだと、改めて感じたのでした。

世界の、これまでの人類の歴史の中で起きた戦争の大部分は宗教戦争です。
それは、異教徒を認めることのできない、突っ走った信仰心、いや、思い込みと言ってもいいかもしれません、それによって起こされてきているんです。

ある意味、国の利権などで起こる争いは、基本的に人の欲望が先に来ているので、まだ底が浅いし回避もし易いです。
しかし、信仰という人の生き方の根本に根を張る部分での諍いはどうにも深すぎます。

しかし、神の信仰の仕方もいろいろあるのだ、自分は唯一神を崇めるが、多神が居るという考え方もあるのだ、という寛容さが大事なのだなと思います。

日本は、幸いにも神道にしても仏教にしても多くの神々、仏様がいることを受け入れてきました。
なので、逆に、キリスト教の神、イスラム教の神が、その信者が唯一の神だと言っても、「まあ、そう言うならそう信じているのだし、まあ、それはそれでいいんじゃない?」と思えると思うのです。それが逆になると、「自分の信じる神以外は認めん!!」と面倒なことになるのですが…。

宗教に関しては一概には言えません。権力者がその権力をさらに広げたいがために宗教を利用することはままあること(アルスラーン戦記の中にも言われています)ですし、そういう意味では、神様のいい迷惑だと思います。笑

ぶっちゃけて言ってしまえば、キリスト教の神もイスラムのアッラーも、神道の八百万の神も、仏教の仏様も、ヒンズーの神々も、ギリシャ神話の神々も、その他諸々、神と呼ばれる存在は同じなんです。まあ、同じと言うのはちょっと言い過ぎかもしれませんが、同じようなものをそう思っているということです。
それを、それぞれの地域、国家、状況で、判りやすく説明したら、受けた側が都合よく話を作り、絵にしたり、像にしたりしただけの話です。

その高次の存在は居ることは確かでなのですが、これからは、その存在に依存することなく、助力してもらうんだ、という意識が大事なのだと思います。

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