お賽銭 ~過去記事~

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お賽銭って、幾ら納めればいいんでしょう?

私個人的には、「幾らでも」と思っています。

ただし、重要なのは「どういう心持ちで納めているか」です。

神社へお参りする際、お願いごとをする方が多いかと思いますが、その際に「お賽銭を納めないと願いを聞いてくれない」とか「これくらい納めれば、お願いを聞いてくれるだろう」などと思っていたりませんでしょうか。

実は以前の私もこういった気持ちでお賽銭を賽銭箱に入れておりました。

でも、神様とのご縁を意識させていただくようになってから、これは神様に対して失礼な心持ちだと思うようになりました。

お賽銭は、神様とのご縁に感謝して納めるものだと思うのです。
まずは感謝ありき。神様のサポートをいただけることへに感謝してのものです。
それを、お金を払うから私のお願い聞いて!と叫ぶのは、誤解を恐れず言えば、神様を使役しているのと同じで大変失礼なことだと思うのです。

当たり前、といえば当たり前なのですが、どうも人間、お金が絡むと物事の順番を間違うようです。笑

先日、隣に住んでいる叔母と話している中で、はたと気付かされたことがあります。

本来、お金を他の人に渡すといことは、根底に感謝の気持ちがあったはずです。
しかしながら、例えばお医者さんへの心づけや、政治家への献金など、今はともすれば癒着というか、自分に良い様にしてねという気持ちが強いケースが多いように思います。つまり、我が利の為にお金を渡しているわけです。
これも、心持ちの順序が間違っていると思っています。

渡す側の気持ちが邪であれば、受け取る側も最初は純粋であっても段々と邪に慣れ、犯されていき、ともすると自分から要求するようになってゆきます。それが表に出れば癒着とか賄賂と呼ばれます。

本来は、治療していただき有難う、自分達の暮らしを良くしてくれて有難う、という気持ちの上でのものですから、心づけや献金自体は、本来の気持ちのものであれば良い事だと思います。

お金についての考え方はまた別に思うところがあるのですが、それはまた別の機会に。

お賽銭を納める、お札をいただくとき納める、その時に、まずは「感謝」を持ちたいものです。

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